雑学の鉄人
エジプト文明ナイル河流域に生まれた文明。ほとんどが砂漠だったこの地域が栄えた理由は、ナイル河が毎年もたらす肥沃な土壌と水がエジプトの豊かな農業を可能したからである。また、ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られ、農地の整備のために測量と幾何学が発達した。エジプトは海と砂漠に囲まれた閉鎖的な地形であるため、外敵の侵入が少なく長く独立を維持した。前5世紀のギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉「エジプトはナイルの賜物」というのは、まさにエジプト文明を簡潔に表現した言葉である。
金星地球型惑星であり、太陽系内で大きさと平均密度が最も地球に似た惑星。太陽系の惑星の中で最も真円に近い公転軌道を持っている。地球から見ると、金星は明け方と夕方にのみ観測でき、太陽、月についで明るく見える星である。「明けの明星」、「宵の明星」ともいわれる。金星には二酸化炭素を主成分とし、わずかに窒素を含む大気が存在する。金星の自転は、地球との接近周期とシンクロしており、最接近の際に地球からはいつも金星の同じ側しか見ることができない。欧米ではローマ神話よりヴィーナスと呼ばれている。
ナポレオン・ボナパルトフランスの軍人・政治家で、フランス第一帝政の皇帝ナポレオン1世。革命後のフランスをまとめあげ、帝政を敷き、ナポレオン戦争と呼ばれる戦争で全ヨーロッパを侵略し、席巻するも敗北し、その後ヨーロッパの秩序はウィーン体制に求められた。ナポレオンはフランス革命の時流に乗って皇帝にまで上り詰めたが、彼が鼓舞した諸国民のナショナリズムによって彼自身の帝国が滅亡するという結果に終わった。ナポレオンが用い、広めた法・政治・軍事といった制度はその後のヨーロッパにおいて共通のものとなった。かつて古代ローマの法・政治・軍事が各国に伝播していったこと以上の影響を世界に与えたと見ることもできる。
薩英戦争薩英戦争とは、1862年、横浜郊外の生麦村で、薩摩藩の行列を乱したとされるイギリス人4名のうち3名を薩摩藩士・奈良原喜左衛門、海江田信義らが殺傷した事件(生麦事件)が発端でおこった、イギリスと薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における砲撃事件である。生麦事件の翌年の1863年、薩摩藩が陸上砲台80門を用いて先制攻撃を開始。暴風雨の中、英国艦隊と薩摩の陸上砲台の間で激しい砲戦が展開されたが、イギリス艦隊は旗艦艦長・副長の戦死などの被害甚大より横浜に撤退する。その後、ジョン・ニールと薩摩藩がイギリス大使館で講和。薩英戦争の結果、薩摩藩は攘夷が実行不可能であることを理解し、イギリスは幕府支持の方針を変更して薩摩藩に接近した。
上杉謙信上杉氏の下で越後の守護代を務めた長尾氏出身で初名は長尾景虎。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。周辺の武田信玄、北条氏康、織田信長、佐野昌綱らと合戦を繰り広げた。特に五回に及んだとされる武田信玄との川中島の合戦は、後世たびたび物語として描かれており有名である。戦略家・戦術家としてだけではなく、和歌に通じ、達筆でもあり、近衛稙家から和歌の奥義を伝授されるなど、公家との交流も深い文化人でもあった。軍事能力に卓越しており、「越後の龍」や「軍神」などと後世で評されている。辞世の句は「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」。
外国為替通貨が異なる国際間の貸借関係を、現金を直接輸送することなく、為替手形や送金小切手などの信用手段によって決済する方法のこと。外国為替の取引では、必然的に「自国通貨と外国通貨とを交換する」こととなり、その交換比率、すなわち外国為替相場が成立する。かつて日本においては、対外為替取引きは許可を受けた場合のみ許されるという閉鎖的な為替取引きであった。しかし、昭和54年に法律が大きく改正され、外国為替、外国貿易、その他の対外取引が自由に行われることを基本とし、対外取引に対し必要最小限の管理又は調整を行うことにより、対外取引の正常な発展、国際収支の均衡及び通貨の安定を図ることが目的とされることとなった。
エイプリルフールの由来エイプリルフールの起源は全く不明であるが諸説がいくつかある。その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた、というのが一つの諸説である。日本で、エイプリルフールが広まったのは「パチンコの負けをごまかすためにこの日にスリにあったと嘘をついた者がいた」ためとする説があるが、この説はあまり有力ではないとされる。4月1日には、世界中で新聞が嘘の内容の記事を掲載したり、TVニュースでジョークニュースを報道したりといった事が広く行われている。
インドインド亜大陸の大部分を占める連邦共和国。首都はニューデリー。10億人を超える国民は、様々な人種、民族、言語、宗教によって構成されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる身分制度であるカースト制度の影響や差別は今でも残っていて、階層や貧富の差が非常に大きい国。長くイギリスの植民地支配下であったが、1947年に独立した。インドの独立運動を指揮し、『非暴力・不服従』を提唱したガンジー(ガンディー)は有名。ほとんどの地域では雨期があり、三つの季節(夏、雨期、冬)に分けられる。
ハリー・S・トルーマンアメリカ合衆国の第33代大統領。1884年5月8日にミズーリ州ラマーで生まれる。1945年にルーズベルト大統領の死を受けて副大統領から大統領に昇格した日本への原子爆弾投下の投下命令書を承認した大統領でもある。トルーマンが原爆投下を決定した理由としては、アメリカ軍の損失を最小限に止めることや実戦での評価、戦後の覇権争いでソ連に対して優位に立つという目的があったといわれている。また、日本人に対する人種的偏見もあったという説もある。当初は日本へ計十八発もの原爆投下を承認していた。
浦島太郎昔々、ある村に浦島太郎という若い漁師がいました。ある日太郎が海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメをつかまえていじめていました。心のやさしい太郎が亀を助けると、亀はお礼に竜宮城に連れていってくれました。竜宮城には乙姫がいて、楽しい踊りや食事で太郎をもてなしてくれました。しばらくして太郎は帰りたいと乙姫に申し出ました。帰り際に玉手箱を受け取り、「この玉手箱は決して開けてはなりません。開けずに持っている限り永遠に年をとらずに若いままでいられます。」と乙姫に言われました。しかし、浜に帰ると太郎は、まわりに誰も知っている人がいないことをおかしく思い、おもわず玉手箱を開けてしまいました。すると中から煙が出てきて太郎は一瞬にして老人になってしまいました。竜宮城で過ごしたのは数日でしたが、地上では700年が経っていたのでした。
長野県本州内陸部に位置する県で面積は全国第4位だが、盆地・山が多いため、可住地面積では、海岸沿いの都市部の千葉県・愛知県と大差はない。信州と呼ばれることが多い。長野県は群馬県・埼玉県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県・富山県・新潟県と接し、日本で最も多くの都道府県と隣接する県でもある。【県立自然公園】中央アルプス県立自然公園、御岳県立自然公園、三峰川水系県立自然公園、塩嶺王城県立自然公園、聖山高原県立自然公園、天竜小渋水系県立自然公園、などがある。農業では、日本酒や味噌の醸成、高原野菜の栽培が盛んである。
ビタミンC水溶性ビタミンの1種で生体の活動においてさまざまな局面で重要な役割を果たしている。多くの動物が体内で生合成できるのに対し、ヒトは必要量をすべて食事などによって外部から摂取する必要がある。厚生労働省による成人の1日あたり摂取量としての推奨量は100mgである。含有量が多い食物はレモン・ライム・オレンジ・グレープフルーツなどの柑橘類のほか、アセロラ、キウイフルーツ、トマト、グァバ、パパイヤ、ブロッコリー、芽キャベツ、ブラックベリー、イチゴ、カリフラワー、ほうれん草、マスクメロン、ブルーベリー、パセリがある。
ペストことの始まりは、リウー(主人公の医者)が階段でつまづいた一匹の死んだネズミだった。やがて、次々と死者が出はじめ、リウーは死因がペストであることに気付く。新聞やラジオがそれを報じ、町はパニックになる。楽観的だった市当局も、死者の数は増える一方で、その対応に追われるようになる。やがて町は外部と完全に遮断される。ランベール(記者)が妻の待つパリに脱出したいと言うので、コタールが密輸業者を紹介する。コタールは逃亡者で町を出る気はなかった。パヌルー神父は、ペストの発生は人々の罪のせいで悔い改めよと説教する。一方、リウー、タルー、グランは必死に患者の治療を続ける。少年が苦しみながら死んだことも罪のせいだと言うパヌルーに、リウーは抗議する。確かに罪なき者はこの世にはいないのかも知れない。やがて災厄は突然潮が退いたように終息する。人々は元の生活に戻ってゆく…
マティーニバーとカクテルを愛する人たちが必ず筆頭にあげるといわれるのがこのマティーニ。ジンとベルモットだけのシンプルなレシピなのでバーテンダーの技量が試される。もともとはイタリアのマティーニ社のベルモットの程度の割合が多い、甘いカクテルだったが、今日ではジン3〜4に対してベルモット1が標準的とされる。それよりジンが多い場合にはドライ・マティーニと呼ばれることが多い。1979年に出版された『ザ・パーフェクト・マティーニ・ブック』では268種類のレシピが紹介されているといわれる。イギリスの首相を務めたウィンストン・チャーチルも辛口のマティーニを好み、ベルモットの瓶を横目で眺めながらジンを飲んだ、という究極のレシピは伝説である。
野球の殿堂【ベーブ・ルース】1895年2月6日 - 1948年8月16日 アメリカ合衆国メジャーリーグのプロ野球選手であるとともに国民的なヒーロー。シーズン50本以上のホームラン記録を初めて立てた選手でもある。もともとは投手としてデビューしたが、最終的には打撃で活躍している。ファンサービスにも熱心で、ファールボールがファンの少年の抱いていた子犬に当たって、その後見舞いに行ったことがある。【ジョー・ディマジオ】1914年11月25日 - 1999年3月8日 ベーブ・ルース引退後のニューヨーク・ヤンキースで活躍した選手。1941年に達成した56試合連続安打は今もって破られていない大記録である。ハリウッド女優のマリリンモンローと結婚し、新婚旅行で日本を訪れたこともある。
日本のサッカー(Jリーグ)1993年5月15日、ヴェルディ川崎×横浜マリノス戦の開幕戦で華々しく開幕したJリーグは、当時のメジャーなプロスポーツと言えばプロ野球やプロゴルフ、大相撲くらいしか存在しなかった日本に大きな衝撃を与えた。発足当時は10チームだったが2008年にはJ1.18チーム、J2.12チームになる。J1の試合方式は18チームによる2回総当たり戦(ホーム&アウェイ)で順位を決定し、17,18位のチームが自動的に降格し、翌年はJ2となる。16位チームはJ2の3位チームと入れ替え戦を実施する。(2008年データ)
ロック音楽の歴史ロックのルーツは黒人のブルースが起源。1900年頃アフリカから奴隷としてアメリカにつれてこられた黒人が自分たちの娯楽としてはじめた黒人霊歌がブルースに発展しアメリカ南部に広まる。1950年頃チャックベリーやリトルリチャードらによってよりリズミカルな音楽(ロカビリー)に発展し、その後エルビスプレスリーの登場によって白人の間でも大衆音楽として認められるようになった。プレスリーに影響を受けたビートルズやローリングストーンズが現在にいたるロックミュージックの地盤を固めたといえる。
ジャパニーズ・ボブテイルルーツは日本の短尾猫でアメリカで生まれ変わった。1968年、日本から100匹以上の短尾の日本猫が海を渡り繁殖計画がスタートした。本来、日本猫はずんぐりしているが、アメリカに渡って日本食から洋食に変化したためか、体型はスマートになり、脚も細く長くなった。ボブテイル(ウサギの尾)が特徴で、アメリカでは短尾が珍しく、とくにニューヨーカーの間で人気になった。猫のなかでは最も穏やかで優しい性格で、神経質なところもあるが、飼い主には面倒をかけることも少なくペットとしては適している。日本にも逆輸入されているが、もともと日本猫の血筋と気質を持っているので、日本の風土に適しているといわれている。
名作映画『アリゾナ・ドリーム』1992年、フランス製作、監督:エミール・クストリッツァ。出演:ジョニー・デップ、ジェリー・ルイス、フェイ・ダナウェイ、リリ・テイラー、ヴィンセント・ギャロ。不毛の地アリゾナを舞台に奇妙な登場人物たちが織りなす、一風変わったオフビートな人間喜劇。旧ユーゴスラヴィア、サラエボ出身のエミール・クストリッツァ監督が初めてアメリカを舞台に選び、異邦人の目から見たアメリカン・ドリームとその影を、不思議な浮遊感覚で描いている。
ビーグルもっとも小型のハウンドドッグ。古代の猟犬の子孫といわれており、スヌーピーのモデルにもなった犬種。エリザベス王朝時代のイギリスでは、野ウサギ狩りの猟犬として紳士たちに重宝されていた。小柄だが筋肉質で、がっしりした体つきは実際よりも大きく見える。嗅覚が大変鋭いため猟犬としては優秀。体は健康で強く、あらゆる天候に適応するため飼育しやすいとされる。また、性格は穏やかで素直。人懐っこく陽気な犬でもある。猟犬らしく一度追いかけた獲物はあきらめないが、人に対して攻撃することはない。
更新日 2009年01月09日